最愛の人の最後の教え そして…別れ [記憶と記録]
2020年12月21日午後8時14分 忘れえぬ日時になりました。
大切なものは失ってはじめてわかるといいますが、それでは遅すぎるのです。
忘れたくない、忘れてはいけないことですが記録にも残しておきたいと思います。
今年はコロナ禍で人と会うことが難しくなっていますが、高齢者施設に入居している人や
入院している人に対しては面会禁止という高い壁が発生しました。
高齢者や持病のある感染リスクが高い人を守るには当然の措置でしょう。
しかし、人は孤独では生きられない、もしくは孤独には非常な苦痛が伴うことを否定できる人はそう多くはないでしょう。
まさに理性と感情の間での葛藤ですが、我慢には限界があります。
その長短は人によりさまざまでしょうが、高齢者や病人は孤独に耐えられる時間は
長くはないでしょう。
人が多くいれば孤独ではないというのは間違いです。
無関係、あるいは特に会いたいと思わないと思う人が何人いても意味はないのです。
家族や恋人や親友など特定の個人でなければ余人をもって代えがたいかけがえのない人は
いるでしょう。
もしその人と会いたくても会えなくなったら…普段の当たり前が否定され、
考えたこともない事態に陥ったのが2020年です。
実際に行われてもいる(高齢者施設や病院でも)画面越しに面会するリモートも
ありますが、実際にあって触れ合う事とは全く違います。
業務のような感情が主ではないことならばリモートで多くの部分が代替できますが、
大切な人とのふれあいにはほとんど意味を成しません。
大事な人との人間同士のふれあいが大切という当たり前のことを改めて感じさせられたのが
今年のコロナ禍で教えられたことです。
私にも大切な人はいます。
高齢で認知症もある母です。
一人で24時間介護はできないので施設にお願いしましたが、会社員より時間の自由は
あるのでたびたび面会に行きました。
人それぞれかもしれませんが、母の望みは「また来てね」の一言でした。
食事は好き嫌いがないのでだされるものでいい。
お風呂も週2回入れてもらえるのでそれでいい。
(元気なころは週4回以上入る風呂好きでしたが)
音楽や体操などレクリエーションもあるし、施設内に本もあるので読める。
年齢を重ねて欲がなくなったように見えましたが(母なりの我慢もあったはずです)
面会が終わって帰る際には「また来てね」が決まり文句でした。
「また来るよ」が決まりの返しの句で3日と空けずに面会に行きました。
母の調子が良い時は同じ施設の方(高齢者)とトランプをすることもありました。
思えば平凡な日常の中の幸せなひと時だったのかもしれません。
ところがご存じの通り今年のコロナ禍の中で面会禁止になりました。
私が面会に行くのを楽しみにしていた母にはつらい時期だったと思います。
3月、4月、5月、6月と面会禁止の時期は続きました。
7月に面会解禁になりましたが、予約で1日限定5組、しかも15分だけで
特別に決められた場所という窮屈なものでした。
高齢者居住区に一般の人(家族等外部の人)が入るのは感染リスクが高まるので
仕方がない措置ですが十分な時間とは言えません。
以前は何家族でも時間制限もなく場所の制限もなかったことから見れば雲泥の差です。
当然どの家族も入居している身内の高齢者に会いに来るので、面会の時間は激減しました。
私との面会を何より楽しみにしていた母の落胆は大きかったと思います。
コロナだから規則だからは理性で考えれば当然かもしれませんが、
感情では到底納得できるものではないでしょう。
家族と長期間会えない高齢者の心身の不調は各メディアで述べられていますが、
母もまさにそうでした。
体調を崩して入院になりました。
病院は高齢者施設と違い一切面会禁止と状況はさらに悪化しました。
病院でもリモート面会はありましたが、体調不良の中でのモニターの小さい画面で
音声も悪く、時間もごく短時間では全く不十分でモニターを見て
母が「息子はここに来られないの」との言葉を聞いて何もできない自分のふがいなさを
感じずにはいられませんでした。
入退院を繰り返しているなかで衰弱していく母。
施設に帰られた時には15分の面会はできますが、週1回がせいぜい。
体調を崩し、入院のときは救急車で搬送されるので、入院から退院まで一度も
顔を合わせられないという有様でした。
唯一の楽しみを奪われ入退院の繰り返しでは高齢者の身が持つはずもありません。
ついに医師からは高齢による衰弱、いわゆる老衰に近い状態との宣告を受けました。
いざという時どうしますかと私に尋ねる医師に私はっきりと答えました。
胃ろうや中心静脈栄養のような延命措置はお断りします。
最後は静かに見送ろうと思います。
これは私の意思ではなく、本人(母)の意思です。
元気な時に母の意思ははっきり確認している(書面もある)ので、
迷いようもありませんでした。
葬儀は一番簡単でいいからね。ほかの人に迷惑をかけないであなた一人で見送ってくれれば
いいからね。
二親等以内の親族は私以外誰も残っていませんし、唯一近所に住んでいた甥も
亡くしているので母なりの配慮だったのでしょう。
自分の最期のときの意思を明確に残していた母。悲しみうろたえる私。
何と対照的でしょう。
まさかコロナまでは予想できたはずはないでしょうが、まさに完璧な終活です。
大切な人との触れ合いは欠かせない。
平凡な日常の中の幸せ。
完璧な終活。
こうして最愛の人は多くの教えを私に残し、静かに旅立ちました。
大切なものは失ってはじめてわかるといいますが、それでは遅すぎるのです。
忘れたくない、忘れてはいけないことですが記録にも残しておきたいと思います。
今年はコロナ禍で人と会うことが難しくなっていますが、高齢者施設に入居している人や
入院している人に対しては面会禁止という高い壁が発生しました。
高齢者や持病のある感染リスクが高い人を守るには当然の措置でしょう。
しかし、人は孤独では生きられない、もしくは孤独には非常な苦痛が伴うことを否定できる人はそう多くはないでしょう。
まさに理性と感情の間での葛藤ですが、我慢には限界があります。
その長短は人によりさまざまでしょうが、高齢者や病人は孤独に耐えられる時間は
長くはないでしょう。
人が多くいれば孤独ではないというのは間違いです。
無関係、あるいは特に会いたいと思わないと思う人が何人いても意味はないのです。
家族や恋人や親友など特定の個人でなければ余人をもって代えがたいかけがえのない人は
いるでしょう。
もしその人と会いたくても会えなくなったら…普段の当たり前が否定され、
考えたこともない事態に陥ったのが2020年です。
実際に行われてもいる(高齢者施設や病院でも)画面越しに面会するリモートも
ありますが、実際にあって触れ合う事とは全く違います。
業務のような感情が主ではないことならばリモートで多くの部分が代替できますが、
大切な人とのふれあいにはほとんど意味を成しません。
大事な人との人間同士のふれあいが大切という当たり前のことを改めて感じさせられたのが
今年のコロナ禍で教えられたことです。
私にも大切な人はいます。
高齢で認知症もある母です。
一人で24時間介護はできないので施設にお願いしましたが、会社員より時間の自由は
あるのでたびたび面会に行きました。
人それぞれかもしれませんが、母の望みは「また来てね」の一言でした。
食事は好き嫌いがないのでだされるものでいい。
お風呂も週2回入れてもらえるのでそれでいい。
(元気なころは週4回以上入る風呂好きでしたが)
音楽や体操などレクリエーションもあるし、施設内に本もあるので読める。
年齢を重ねて欲がなくなったように見えましたが(母なりの我慢もあったはずです)
面会が終わって帰る際には「また来てね」が決まり文句でした。
「また来るよ」が決まりの返しの句で3日と空けずに面会に行きました。
母の調子が良い時は同じ施設の方(高齢者)とトランプをすることもありました。
思えば平凡な日常の中の幸せなひと時だったのかもしれません。
ところがご存じの通り今年のコロナ禍の中で面会禁止になりました。
私が面会に行くのを楽しみにしていた母にはつらい時期だったと思います。
3月、4月、5月、6月と面会禁止の時期は続きました。
7月に面会解禁になりましたが、予約で1日限定5組、しかも15分だけで
特別に決められた場所という窮屈なものでした。
高齢者居住区に一般の人(家族等外部の人)が入るのは感染リスクが高まるので
仕方がない措置ですが十分な時間とは言えません。
以前は何家族でも時間制限もなく場所の制限もなかったことから見れば雲泥の差です。
当然どの家族も入居している身内の高齢者に会いに来るので、面会の時間は激減しました。
私との面会を何より楽しみにしていた母の落胆は大きかったと思います。
コロナだから規則だからは理性で考えれば当然かもしれませんが、
感情では到底納得できるものではないでしょう。
家族と長期間会えない高齢者の心身の不調は各メディアで述べられていますが、
母もまさにそうでした。
体調を崩して入院になりました。
病院は高齢者施設と違い一切面会禁止と状況はさらに悪化しました。
病院でもリモート面会はありましたが、体調不良の中でのモニターの小さい画面で
音声も悪く、時間もごく短時間では全く不十分でモニターを見て
母が「息子はここに来られないの」との言葉を聞いて何もできない自分のふがいなさを
感じずにはいられませんでした。
入退院を繰り返しているなかで衰弱していく母。
施設に帰られた時には15分の面会はできますが、週1回がせいぜい。
体調を崩し、入院のときは救急車で搬送されるので、入院から退院まで一度も
顔を合わせられないという有様でした。
唯一の楽しみを奪われ入退院の繰り返しでは高齢者の身が持つはずもありません。
ついに医師からは高齢による衰弱、いわゆる老衰に近い状態との宣告を受けました。
いざという時どうしますかと私に尋ねる医師に私はっきりと答えました。
胃ろうや中心静脈栄養のような延命措置はお断りします。
最後は静かに見送ろうと思います。
これは私の意思ではなく、本人(母)の意思です。
元気な時に母の意思ははっきり確認している(書面もある)ので、
迷いようもありませんでした。
葬儀は一番簡単でいいからね。ほかの人に迷惑をかけないであなた一人で見送ってくれれば
いいからね。
二親等以内の親族は私以外誰も残っていませんし、唯一近所に住んでいた甥も
亡くしているので母なりの配慮だったのでしょう。
自分の最期のときの意思を明確に残していた母。悲しみうろたえる私。
何と対照的でしょう。
まさかコロナまでは予想できたはずはないでしょうが、まさに完璧な終活です。
大切な人との触れ合いは欠かせない。
平凡な日常の中の幸せ。
完璧な終活。
こうして最愛の人は多くの教えを私に残し、静かに旅立ちました。